アナル舐めの魅力
あちら側の世界へ
アナル舐めは、倒錯的で変態なプレイの幕開けである。
アナル舐めは、アナルセックスほど危険ではないし、高度な知識・技術も要しない。
ただケツの穴を舐めるだけの簡単なプレイである。
しかしながら、その簡潔さとは裏腹に、アナルという卑しく虐げられた存在が、我々にとってアナル舐めの大きなストッパーとなっている。
それゆえに、このアナル舐めの魅力を知る者は、さらにその先のより変態なプレイを楽しむ下地ができるし、一方でこの行為を受け入れなければ、なかなか倒錯的なプレイへと発展していかないかもしれない。
すなわちアナル舐めは、変態な性癖を探す旅路において、その先を決定する重要な分岐点となっているのである。
ゆえに、本ページにおいてはなによりもまず初心者に向けて、アナル舐めからアナルの魅力と、その意味の認識を共有していこう。
アナルという、第二の扉
アナルは閉ざされた門ではない。
アナルは誰に対しても平等に開かれた、魅惑的な第二の扉である。
認識を変えるだけで、アナルはいつでも我々を第二の新しい世界へと連れて行ってくれるだろう。
アナル舐めにおいて、その片鱗がわずかに顔を出す。
したがって、アナル舐めは、まだ秘められた世界の魅力を無際限に妄想する契機を与えてくれるものであり、新世界のチラリズムである。
秘められたものは、その全貌が明らかになることより、断片的な情報を頼りに様々な想像の可能性が膨らむことに、認識のエロティシズムがあるといえる。
アナル舐めにおいて、無限に広がるアナルの世界を、切れ切れに享受することにこそ、性的なエクスタシーがあるのだ。

美しきアナル
アナルを舐める象徴的な意味
アナル舐めのマゾヒズム
アナルは、排便のための器官であり、あまりにも穢らわしい部位である。
しかしながら、アナルがもう1つのセックスの扉であることは、ほとんど誰もが知る事実であろう。
ゆえに、アナルを舐めることは、あの狂乱で偏執的な世界を受け入れてしまう、変態の烙印を押されることなのだ。
「アナルを舐めるなんて、どれほど倒錯的で、変態的な人なんだ」
この象徴的な意味こそ、アナル舐めのエロスの核を成す要素であろう。
それは、アナルを舐めることにおいても、あるいはアナルを舐めさせることにおいても同じだ。
アナルを舐めることは、あの汚らしい部位を舐める自分の変態さを再確認させる行為であり、その負い目こそがマゾヒスティックな性的興奮となる。
他方で、アナルを舐めさせることは、女を変態世界の淵に追いやることである。
汚いケツを舐める従順な性奴隷を支配し、我々のサディスティックな欲望が満たされるのだ。

エゴでマゾなアナル舐め
アナル舐めのサディズム
しかし、実はアナル舐めにおいては、その逆の構図もあり得る。
すなわち、アナルを舐められる側ではなくて、アナルを舐める側が、主導的で、サディストの立場に立つのだ。
それは、恥ずかしがる受け手に対し、この過剰で刺激的な行為によって、先手を打つのだ。
アナルを舐められて興奮するなんて、変態だ、というわけである。

ドS痴女によるアナル舐め
アナル舐めは、SMの過激な要素を孕んでいるが、それらは不安定であり、ゆえに、解釈・認識の膨大な可能性を享受できるのである。
意味の豊かさは、無限の妄想を誘い、我々に奥深いエロティシズムを覚えさせるのであった。
その意味で、アナル舐めは、多分に知的で、かつ野蛮な行為であるのだ。
アナルの神経刺激、前立腺の手前
また、アナル舐めは、その象徴性、意味論的な作用によるエロスだけではなく、神経刺激によるダイレクトな性的興奮も提示する。
アナルを楽しまない人にとっては、あまり意識されないことではあるが、脱糞の快楽なるものが明らかに存在する。
異物が直腸から肛門へと押し出される時に刺激される快感。
これはダイレクトな肛門への刺激である。
いまだその快感が性的興奮と結びついていないかもしれない。
しかし、それほど肛門は敏感であるのだ。
まずは、この快感を意識されたい。
その上で、異性からアナルを舐められれば、その優しい舌触りに身震いし、腰を抜かすほどの快楽を得ることができるはずだ。
つまりアナル舐めとは、意味論的にも身体論的にも性的な快楽を生み出す行為であるのだ。
アナル舐めからはじまり、その快感に浸れば、もはやアナルそのものの魅力の虜となるだろう。