汗だくの魅力
情熱的なセックスの象徴
汗にまみれて無心にセックスに耽るだらしなさ。
汗だくセックスの良さはこれに尽きるだろう。
だらだらと汗だくになる様は、脇目も振らず乱れ狂う、熱狂的なセックスを彷彿とさせる。
理性の機能を失い、ただ欲望のままに快楽に溺れるのだ。
すなわち、汗だくの女には、ある種の痴女性が宿る。
汗をかき、高揚した精神、紅潮した頬、そして悦に浸る表情は、まさしく妖艶な要素として女を彩る。
また、AV鑑賞論からは外れるが、実際の汗だくセックスは、行為後のシャワーも含めて最高に気持ち良いものである。
汗ばむ過激なセックス
汗という汚さ、神秘的な美しさ
汗は基本的に汚らしいものである。
実は汗自体は臭うものではないが、それでも汗を好む細菌が繁殖することによって、強烈な臭いを発するようになる。
さらに、視覚的にも、なかなかグロテスクなビジュアルを提示する。
汗に濡れた髪は乱れ、衣服は透け、肌は生々しい光を反射する。
すなわち汗だくとは、第一に汚らしい要素であるのだ。
しかし他方で、汗は、自然世界の生んだ、身体の神秘性をも提示する。
汗によって、みずみずしく、艶やかな装いとなる身体は、美しく、健やかな印象を与える。
運動によって熱を帯びた身体を、クールダウンさせるための汗。
その生理学的な機能の平常運行に、身体の健全さが浮き彫りとなる。
汗に宿る、グロテスクな汚さと、生命の神秘性。
この過激な美醜構造にこそ、我々はエロティシズムを認識するのだ。
WAMとして
WAM(ウェット・アンド・メッシー)とは、文字通り女体を濡らし、汚すことに興奮を覚えるフェティシズムのことである。
とくに有名なWAMプレイは、はちみつや生クリーム、チョコレートソースなどを女体にぶっかけて汚す行為である。
食品系の液体を使えば、汚れる視覚情報だけではなく、それを舐めることによって、触覚的にも(もしかすれば味覚的にも)エロスを体験することができる。
そして、汗だくになった女体もまた、一種のWAM要素である。
なぜなら汗だくとは、女の身体が全身濡れることであるし、上で見たとおり、汗は、汚れの要素でもあるからだ。
女のカラダが濡れ、汚れることは、女体の非日常的な一面を浮かび上がらせる。
濡れたカラダは、全裸よりも激しいエロティシズムを喚起するのである。
また、汗のほのかな塩っ気、そのしょっぱさは、触覚的に、そして味覚的に、我々に刺激を与えるのである。
汗だくとなった女のカラダを舐めることは、その全身を隈なく味わい、堪能することだ。
汗だくセックス鑑賞ポイント
高画質動画を選ぶべし
AVで汗だくセックスを鑑賞するならば、高画質は外せない条件である。
フルHDの誕生によって、女優の体液を鮮明に捉えることが可能となり、その刺激的なビジュアルは、体液フェチという概念を生み出した。
汗もまた、例外ではない。
汗だくセックスは、ほとんど視覚的な情報に依存したエロティシズムだ。
それゆえに、汗だくセックスは高画質動画で鑑賞するほかない。
女優のきめ細やかな肌の上に、無数に光る汗の粒。
そのグロテスクで神秘的な映像に、我々の性衝動は爆発する。
染みだらけのシーツ
また、汗だく企画で注目したいのが、女優の滝汗で濡れた染みだらけのシーツである。
我々の認識力は、汗まみれの女体から、汗だくの異常さを直接的に把握するだけではない。
濡れたシーツや、水たまりとなった床は、甚だしい量の汗をわかりやすく見せつける。
汗だくの異常さは、隠喩的な映像技法によっても認識可能であるのだ。
すなわち、染みだらけのシーツが映ることによって、女の汗を、より奥深く妄想することができる。
エロスは認識論であり、多義的な意味に対する解釈可能性の豊かさこそ、圧倒的なエロティシズムを内包するのである。
その意味で、汗だくを楽しむためには、シーツの染み、あるいは潮溜まりを巧みに演出している作品を選ぶべきである。
アイドルの汗溜まり
透ける衣服
染みになったシーツと同様に、汗に濡れ、肌が透ける描写も、汗だくならではのエロい要素である。
シーツも服も、どちらにしろ外在的な「モノ」が女の汗によって濡れる様は、汗の作用の確実性を際立たせる。
「こんなに濡れちゃった」という感覚は、生々しく汚らしい汗が、そこに確かに存在していることを、AVの画面越しに認識させるのである。
また、濡れた衣服のエロさは、汗の存在を強調するだけではない。
汗によって、透けて見える肌は、着衣、半裸、チラリズムといった要素を含んでいる。
エロティシズムは、法を犯す運動であり、つねに禁止されたもの、秘められたものへと向かうことによって獲得させる。
その意味で、全裸は、すでに全ての秘められた部位を晒してしまっているが、他方で半裸、そしてチラリズムは、秘められたものを暴露する途上である。
一歩踏み出したエロスの運動の只中にとどまることは、さらなる法の侵犯を無際限に夢想することができるのだ。
肌が透ける汗だくの衣服も、これと同じで、まだ衣服を脱いでいないのにもかかわらず、乳首や陰毛が透けて見える様は、余計に性的な妄想を膨らませるのだ。
また、着衣という、隠された状態でのセックスは、もはや性行為をしているという意味で、秘部を隠しきれていないのに、頑なに服を着続ける過剰さに、エロティシズムが宿る。
汗に濡れた衣服は、かくも多義的で豊かな解釈・妄想可能性を提示するのである。