腋舐めの魅力
腋そのものの魅力
腋は秘められた部分である。
その陰湿な腕の付け根は、身体上最も汗をかきやすい部位の1つである。
にもかかわらず、女はしばしば、あまりにも大胆に、無警戒に腋を露出する。
美容意識の改革、脱毛技術、ムダ毛処理の発達によって、もはや腋は綺麗に保たれる部位であるかのようだ。
しかしながら、やはり腋は、根本的に汚く、その原罪は間逃れない。
ここに、腋の美醜関係が現れる。
汗ばんだ汚らしい美人の腋。
ムダ毛がいっさいなく、綺麗に保たれたその腋は、我々にとって、両義的な屈折した意味を解釈させるのである。
腋は第二の性器である
腋は、その構造上、第二の性器として機能する。
そこに肉棒を収める穴はないが、汗ばんで湿った腋に挟んで擦れば、それは立派なオナホールとなり得る。
女の腋を使ったオナニーほど贅沢なものはない。
なぜなら、そもそもオナニーは1人で行う手軽なものであるにもかかわらず、わざわざ生身の女をモノのように扱っているからであり、
さらに、女を目の前にして、その性器を使わずに、腋でシコるからである。
これほど贅沢で常軌を逸したプレイはないだろう。
そしてまた、女に腋が性的なものであるという認識を植え付けることにもなる。
彼女らは、いままでその腋を、多少恥ずかしい部分であるとは自覚していたとしても、それほど性的な意味では認識していなかったはずだ。
彼女らの認識を変えてしまうこと、そこにこのプレイの一番の暴虐的でサディスティックな要素が隠されているのだ。
腋舐めのエロティシズム
腋舐めとは、意外に市民権を得ているプレイかもしれない。
読者の方々も、セックスの最中、乳首を舐める流れでなんとなく腋の方まで舌を伸ばして舐め回していたりするかもしれない。
しかし、性的な行為はつねに意味の解釈だ。
なんとなくでは、それは腋舐めではない。
腋舐めには腋舐めの、確固たる意味の認識を有することによって、変態プレイとしての腋舐めたり得るのだ。
上記の通り、美と醜のアンビバレントな要素としての腋を、自らの舌で直接的に感じることこそ、腋舐めのエロさである。
さらに、自らの唾液で女の腋をより汚らしく仕上げるのも最高だ。
そしてその香ばしい独特の香りも楽しめるのである。
腋舐めは視覚、嗅覚、触覚、味覚、そしてぴちゃぴちゃといやらしい唾液の音から聴覚まで、五感すべてをダイレクトに刺激する。
その自由度は高く、正常位でハメたまま舐め回すことも可能である。
すなわち、腋舐めの敷居は低いが、その倒錯的な意味を認識することこそ、より過激なエロティシズムに身を捧げることが可能となるのだ。
ワキガさえも舐めることは可能か
そんな汚らしくも、最低限衛生的な清潔さを保っている腋。
しかし、とはいいつつも、そうした認識をぶち壊す、あまりにもハードな腋も存在する。
それは、ワキガだ。
ワキガとは、その体質上、通常の人からは決して発せられない腋の強烈な刺激臭のことである。
刺激臭は、ワキガの人だけが有する、アポクリン汗腺の仕業であり、それは身体の根本的な構造の違いによるものだ。
(ちなみにその割合は、日本人においては、10人1人がワキガ体質であると言われている。)
そんなワキガをも舐めることは、屈折したマゾヒスティックな性的興奮を誘発する。
強烈に臭いその腋は、明らかに虐げられ責められるべき存在である。
にもかかわらず、それを舐めさせることは、女性を優位な立場へと変える。
すなわち、ワキガを舐めさせること、この行為には、SとMの両側面が捻れ合わさっているのだ。
それゆえに我々は、膨大な解釈と妄想を誘発させられる。
我々の理性は処理不可能となり、ただ刺激的な享楽のみの中に取り残される。
強烈な刺激臭を猛烈に吸い込み、非日常的なグロテスクの世界へと足を踏み入れることに、性的な興奮があるのだ。
もしもパートナーがワキガであるならば、ぜひ押さえておきたいプレイである。