プレステージの革新的なシリーズ「全裸コスプレ」。
全裸とコスプレ、相反する矛盾した語義を繋げたこの言葉は、いままでのAVとは決定的に異なる立場をとる。
本稿は、その矛盾の真相を追求することが目的だ。
全裸コスプレの魅力
知的で思弁的な最高傑作
「全裸コスプレ」シリーズは、単にセックスを撮影するだけのような生ぬるい企画ではない。
極めて思弁的なシリーズである。
その革新的な試みはまず、作品の冒頭において宣言される。
というのも、本シリーズは、冒頭に各作品の出演女優から投げかけられる定型文が用意されているのだ。
以下に引用しよう。
みなさんこんにちは。
みなさんは今、何をしていますか?
この問いに大抵の人はこう答えるでしょう。
私のビデオを観ている、と。
突然何を言っているんだとお思いになるかもしれません。
あなたが観ているのは日常の世界?
それとも非日常の世界?
果たして、私たちが観ているもの、だけが、真実なのでしょうか。
この定型文は、本シリーズの核心をつく問題をしっかりと捉えている。
なぜなら、全裸コスプレとは、日常世界と非日常世界の境界線に対して非常に意識的な作品であるからだ。
現実と虚構の狭間で
そもそもこの作品に限らず、AVはつねにフィクション(虚構)である。
むしろ、大前提であるその事実を、いかに隠し、リアルな演出へと表現するのかというテーマこそがAVの歴史そのものでもあるだろう。
中出しが擬似中出しであろうと、ナンパものが台本ありきであろうと、それらにリアリティを付与するのがAVの仕事だ。
しかし、本作品は、この事実を隠そうとはしない。
もちろん、AVの虚構性に開き直って、大いにファンタジックな演出を手がけるAV作品は他にも多数存在する。
だが、全裸コスプレシリーズは、そういった作品とは全く異なるフィクションの捉え方をしているのだ。
AVをリアルなものに近づけるのではなく、フィクションとして開き直るのでもなく、現実と虚構の対立そのものに注目するのである。
全裸コスプレは、現実と虚構の複雑な絡まり合いの中で描かれる作品なのだ。
画面の中と外
全裸コスプレにおいては、一定のリアリティを保つ設定の中で、そのリアルに風穴を穿つ異物が存在する。
異物とはもちろん、全裸コスプレをした女優である。
彼女は終始全裸でありながら、彼女自身も、そして他の人物も、そのことを全く気に留めない。
まるで、全裸な姿は、画面の外(リアル)にいる我々にしか見えていなかのようだ。
そうであるからこそ、あまりにも過激で大胆な姿をしている彼女が、服を着ているかのような感覚にもなるのである。
それは、想像的盗撮である。
我々は、執拗に彼女が裸であることの意味を思考してしまう。
裸であるのか、着衣であるのか、あるいは裸であることへの恥じらいはないのか。
そうした無際限な解釈の奥行きが、無限のエロティシズムを喚起するのである。
エロティシズムは認識だ。
裸という、性的な概念への認識を強く揺さぶる全裸コスプレは、AVにおいて斬新な興奮を覚える作品となっているのだ。
セックスは現実か
全裸コスプレとは、その一言で矛盾している。
全裸でありながら、コスチュームプレイをすることはできない。
全裸コスプレは、最低限のアクセサリーをつけることによって、コスチュームの持つ物語性を引き受けている。
しかしながら、全裸であるのか、あるいは着衣であるのかといった問いには答えようとしない。
むしろ、そういった問いを意図的に宙吊りにしてしまっている。
認識論的に、全裸よりも半裸の方がエロいのは、そこにまだ、隠された部分が残っているからだ。
全裸コスプレは、解釈の不断の運動を誘発させるのである。
エロティシズムは、現実と狭間の間で揺れれば揺れるほど、強度を増す。
なぜなら、エロティシズムは、そもそも禁止と侵犯の繰り返しであり、二項対立の弁証法的な運動であるからだ。
とはいえ、ヘーゲル的な成長としての弁証法ではなく、一度アウフヘーベンしたものさえも、投げ捨てるかのような運動であるが。
その意味で、セックスは現実でも虚構でもなくなるとき、最も性的で、最もエクスタシーを得られるのである。
全裸コスプレは、終始、全裸であり、着衣である。
そして、つねにスクリーンの外と内に対して意識的である。
かように、あらゆる二項対立を脱構築し、現実と虚構の複雑な絡み合いを提示するのだ。
おすすめ作品
全裸で挙式
本作品は、園田みおんによる「全裸コスプレ」作品である。
彼女の類稀なる美貌は、どんなコスプレでもお似合いであり、メイド服やバニーガール、JKにギャルとバラエティに富んだ演出となっている。
なかでも、突出した演出となっているのが、全裸ウェディングだ。
ウェディング・ドレスとは、女性の誰しもが夢見るコスチュームであり、実際に挙式をあげるとなると、決定するのに一番時間をかけて悩むトピックではないだろうか。
そんな花嫁衣装に身を包んだ彼女は、しかし、全裸なのである。
そして、挙式前のわずかな隙間時間にセックスをするという、あまりにも現実離れした設定。
とはいえ、彼女の演技力からか、不思議な説得力があり、一定のリアリティを保持しているのだ。
もはや、我々の理解では完全に追いつかない世界。
それが、全裸コスプレ、全裸ウェディングである。