発売日
2016/06/01
AV女優
シリーズ
レーベル
監督
秋山祥子の新境地、BDSM
スレンダー美人系女優の秋山祥子。
5年前に一度引退を経験している彼女であるが、そのキャリアは長く、今までにも様々な企画の作品に出演してきた。
そんな彼女でも、本作のような過激なSMプレイは珍しい。
とりわけ、ここまで暴力的な作品は、本作が唯一であろう。
この希少価値の高さは、秋山祥子ファンにとって、本作を観るには十分すぎる理由となる。
本シリーズの「BDSM」とは、「ボンテージ、ディシプリン、サディズム&マドヒズム」の略であり、絶対的な従属によるハードなSMプレイのことだ。
なかでも本シリーズは、緊縛、拘束によって女優の自由を物理的に奪う。
この強圧的な服従によって、我々は熾烈なサディストの欲望を満たすことができるのだ。
細長い肢体と、豊満なEカップ、文句ないカラダの彼女であるからこそ、緊縛がより美しく映える。
緊縛は、絶対的な暴力でありながらも、なお美を有するある種の神秘的なプレイだ。
なおかつ、これほどの美人であれば、より超現実的な芸術となる。
従属において芽生える快楽
まず、はじめのシーンにおいて、彼女は目隠しをされた状態のまま、おもちゃで全身を愛撫され、ダイレクトにまんこをかき回される。
身体の自由だけではなく、視覚まで奪われた彼女は、その圧倒的な屈服によってドMの性を解放し、快楽を享受する。
その限りにおいて、自由を奪われた彼女は、為すすべもなく、ただただ快楽に身をまかせるばかりである。
いや、むしろその不自由さこそ、彼女をして挑発的な刺激に集中させ、かつてないほどの快楽を味わせるのかもしれない。
彼女の乳首をグリグリとつまみ、赤くなるまで弄ぶ。
痛気持ちいい、両義的な快感に、絶叫と興奮が入り混じる。
その快楽の証拠に、彼女の素直なまんこは、どろどろの愛液を垂れ流す。
続いてのシーンは、片足を上げた状態のアクロバティックな拘束プレイだ。
恥じらいもなく露出する彼女のまんこに、アタッチメントをつけた電マで責めまくる様子は、とても刺激的だ。
乱暴さと同時に焦らし要素も加える、完璧なプレイ展開。
彼女自ら「イきたい」とおねだりするほどだ。
圧倒的な服従の中で、自らその刺激を乞う彼女こそ、マゾヒスティックで、ど淫乱な肉便器である。
絶頂とともに、潮をまきちらしながら、ビクビクと痙攣をする姿が堪らない。
三つ目のシーンから、ようやく彼女に肉棒が与えられる。
イラマチオによる乱暴な扱いを受けてもなお、「おちんちん欲しい」と連呼し、肉棒を欲しがる彼女は、最高に下品でいやらしい。
スレンダー美女であるからこそ、ここまで堕ちることのギャップに、卓越したエロティシズムが宿るのだ。
物理的にも、精神的にも、完全なるサディストの勝利。
これまでの美しく体裁の良い秋山祥子など、どこにもいない。
もはや彼女は、屈辱的なまでの従順なる性奴隷と化す。
また、このシーンの演出において重要となるのが、彼女の大量の唾液だ。
イラマチオはもちろんのこと、冒頭からボールギャグを嵌められ、彼女の口元は締まりなく緩む。
咽喉への直接的な刺激を与えずとも、唾液を垂らしながらセックスの快楽に浸る彼女は、淫乱で薄汚いただの雌豚だ。
さらに、緩いのは口元だけではない。
彼女の下の口もズブズブで、尋常じゃない量の潮を床にぶちまける。
最終シーンにおいて、拘束の技術もより高度化し、BDSMのハイ・テクノロジーによって、彼女の理性はもはや一片のかけらも残ってはいない。
彼女は種々の無機質な道具によって、機械的に調教される。
喘ぎ声を分解した激しい嗚咽とともに、絶頂アクメの悦びを吐き散らす。
我々人間は、唯一道具を使える動物だ。
ハイデガーはそれを、道具的存在と呼んだが、いまこの場面において象徴的であるのは、欲望に飼いならされた動物的な彼女と、それを支配する圧倒的に人間的な、拘束機械の対立構造だ。
我々は物理的にも、精神的にも、そして象徴的にも彼女を制圧する。
象徴性こそ、鑑賞者の立場である我々にとって、その内的表象として我々の内に現前する意味をダイレクトに操作する。
この完膚無きまでの圧倒的な支配こそ、我々にSMの根本的な欲望を充足させるのだ。
【シーン1】 |
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拘束プレイ、目隠し、電マ |
【シーン2】 |
拘束プレイ、焦らしプレイ、潮吹き、電マ |
【シーン3】 |
目隠し、拘束プレイ、イラマチオ、潮吹き、唾液、後背位尻出しフィニッシュ、お掃除フェラ |
【シーン4】 |
拘束椅子、指フェラ、指イラマチオ、 |
【シーン5】 |
拘束プレイ、イラマチオ、後背位尻出しフィニッシュ、お掃除フェラ |
評価 | ★★★☆☆ |
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